団交から逃げ回る社長。裏に隠れて、なりふり構わない支配介入は小心者の証。
社長見れば、反逆者となった私たち。
私たちから見れば、社長は独裁者。
独裁者とは臆病で卑怯ですね。
団体交渉から逃げ回り、本人は表へはでてきません。
忙しいふりをして、嫌なことは部下任せ。
団交からの逃げ回り様を書いておきます。
1992年6月2日 最初の団体交渉申し入れ。
6月10日 一旦は6月10日に団交が決まるものの、非組合員からの妨害で延期。
6月24日 「申し入れ書」→団交を再申し入れ。
7月 1日 会社から「回答書」→7月8日までに回答する
7月11日 「団交開催の再々申し入れ」→7月8日過ぎても回答なし。上部団体に対する誹謗中傷と管理職による介入に対する実体解明も追加要求。
7月14日 「回答書」→上部団体とカンキョー労働組合との関係はなくなっている。上部団体に対する誹謗中傷と管理職による介入は一切ない。
7月15日 神奈川県地方労働委員会へ「あっせん申請」
7月16日 地労委から会社へ「あっせん申請について(通知)」
7月17日 「申入書」→正当な理由もなく団体交渉を拒否している。執拗な支配介入を社会正義上許すことはできない。
7月28日 地労委にて団交に向けての予備交渉。
8月6日 地労委にて団交に向けての予備交渉→8月19日に決まる
8月18日 「社員会からのお知らせ」
8月19日 第1回団体交渉
社長は第1回の団交で初めて、私たちの目の前に現れました。
それまで、管理職や従業員を操って執拗に妨害をしてきました。
挙げ句の果てには「いじめ」です。
人間性を疑います。
私は藤村靖之という人間はもっと寛容で、紳士的な人間だと思っていました。
しかし、薄っぺらい虚栄心という皮を被った矮小な人間だったようです。
社長への信頼はなくなりました。
多分、他の従業員も同じ思いを抱いたでしょう。
あれだけ社内が荒れても、それを放置し、自分は悪くないと言い続ける。
最後まで変わらない、かわいそうな人です。
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