逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

仲裁者の仮面を被り、会社の中の対立をあおった張本人のメモ

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勝手に「Aメモ」と名付けていましたが、

社長の犬をしていた課長のメモをまとめました。

仲裁者の顔をしながら、会社の中の対立という現実をつくり出した張本人ともいえます。

私たちの労働組合の動きと照らし合わせながら、再編集しています。

 

これを見ると、地方労働委員会へあっせんを申請する前までは、

会社不安説を流してまでも組合つぶしに躍起になっていたことが分かります。

 

2人だけになった組合をバカにして、のらりくらりと団交延期を繰り返す会社。

ところが、地方労働委員会へあっせん後から、焦り始めて社員会を作ろうとしています。

それまでの経営不安説は雲散霧消しています。

 

そして地労委での予備交渉が始まると、

社長の意志で社員会の結成に至っています。

 

で、何を安心したのか分かりませんが、

組合にとっては念願の第1回団交が設定されたのです。

 

 

(組合の動き)

199262日 最初の団体交渉申し入れ。

610日 一旦は610日に団交が決まるものの、非組合員からの妨害で延期。

624日 「申し入れ書」団交を再申し入れ。

7 1日 会社から「回答書」→78日までに回答する

 

Aメモ)

71日 非組合員のIK

合化労連から抜けて欲しいみんなが入るように説得する

執行部の再選

理由

1.自分たちで考えているようには思えない。

2.合化労連を選んだ理由が不明確

3.合化労連は経営者側、その他から危険思想と思われる

現実的に危ない状態(対外的援助)

ブラックリストに載っている(銀行の)

松永専務 株を引き取って欲しい

九州の計装屋 銀行で手形割引できなかった

サンコー産業:手形大丈夫ですかと言われた

VBらしくない行動ではないか

強硬姿勢な態度がよくない

うまく行ってないと思われる

 

76日 渡辺総務部長

外部に会社の恥部が伝わるのはマズイ

信用不安になる

社長が稼げずに資金集めに走る

部長が稼げずに資金集めに走る

渡辺部長が資金集めできずに社内の○○*3の調整に走る。

今はそんなことはするべきではない。

このままでは8月に会社が危ない

まず会社の代表者を立てて社長と話をする

 

77日 組合役員のI

昨日は話せなかった。研修会の時話したが、上部抜けるつもり。

今日夜ホテルにTELする。

抜けるつもりはある。団体交渉しなければ意味がない

神田山崎に疑われる、1回目の団交はやる。

 

 

(組合の動き)

711日 「団交開催の再々申し入れ」→78日過ぎても回答なし。上部団体に対する誹謗中傷と管理職による介入に対する実体解明も追加要求。

714日 「回答書」上部団体とカンキョー労働組合との関係はなくなっている。上部団体に対する誹謗中傷と管理職による介入は一切ない。

715日 神奈川県地方労働委員会へ「あっせん申請」

716日 地労委から会社へ「あっせん申請について(通知)」

 

Aメモ)

1992716

渡辺部長:715日神田、山崎が地方労働委員会へ行っている。

神田君は710日を認めていない。

14名は合化労連から抜けたと理解している。

6人:神田、山崎、○○○○○○○○

(神田、山崎)折れていない。個人加盟で続ける。

加入の時はナゾだらけなのに、脱退の時はダメというのはなぜか。

神田がウソをついていた、仲介役というのはウソだった。

社員で非難するしかない。

 

 

 

(組合の動き)

717日 「申入書」正当な理由もなく団体交渉を拒否している。執拗な支配介入を社会正義上許すことはできない。

 

Aメモ)

720

社長:人事労務課長(裏で)新組合

   全員参加のリーダーをやって欲しい。

   部長は田熊

 

721

K8月給料5%会社へバック(課長以上)or遅延

山崎、神田のBossing79出張NG

 

H課長:S以上の中堅社員が立ち上がろう。部長は期待できない。

渡辺、田熊部長:現在までの経過(上部の個人加入はあり得ない)

脱会(有効)VS掲示されていない(無効)

このままPendingの状態

田熊:認められている手続きはしているからからOK

 

710日に郵送 but 711日合連より再々申し入れ

それに対する回答者した(714日)縁は切れた

地労委が716日来た(会社側の言いたいことは伝えた)

7281330合化労連と会社側の話合いをする。

at 神奈川県地方労働委員会

 

1.全員参加の組合をきっちりつくる(Union Shop

共存共栄のための全員参加

神田、山崎が合化労連に入っても仕方がない。

それは田熊部長が対応する(受けて立つしかない)

 

2.親和会の拡大また外から来る可能性がある。

従業員の総意で1or2で受け皿を作るしかない。

 

まずはKYを孤立させる必要あり。

基本的には1の方がよい

推進グループ作る課長はどちらでもよい(7月中に案をまとめる)最悪お盆前

最初の2年は続ける いずれ解散させる。

 

スケジュール

1.推進グループの会合 722日~23

2.全社員の説明(本社&戸塚) 727日~29

〈組合の解散〉

3.全社員大会の開催 84日~6

4.結成-役員選出-規約

5労働基準監督署に提出

松本:I君から組合員集まってもう一度 神田・山崎を説得する

 

722

中間社員集会

個人的わだかまりI君等は許せない。

イメージを作った我々が頑張るしかない。

その下の人たちに態度で見せるしかない。

 

723

社員会or組合and UnionShop

昨日は時間をかけるはずだったが、やはり早くやるべきだと社長の指示、できれば社員会の方向で月内に決着させる。

723日推進グループ(各部から1名)

724日社員会の発足の発表(全社員に対して)

727日までに指示を得る)最悪でも今月中

728日までは解散させない、その後順次投票させる

2人で勝手に地労委へ行ったのはおかしい

組合員の同意がない、社員の代表ではない

RICHOは社員会)

きっちりとした型にしないと合化労連につっこまれる。

 

723

I君:もう一回臨時大会を開いて上部団体脱退の再度決議 

除名されていたら文章で明示しろ。

最後の助け船のつもりです。

M:それしか手段がないなら仕方がない。

N♀:組合自体はいらないが仕方がない。

I君:組合にしたい

渡辺:自己主張OK(ビジネス上も)

課長以上10%カット、来月普通社員も遅延orカット

I君:神田、山崎はカンキョー組合とNew合化労連に2つに入っていることはおかしい。 

解散or加入(合化労連と切れているなら)

I:組合が良い

 

社長&渡辺(との密談)

社長:組合として今までの主張はすべておかしい(個人加入7月であれば)

それはそれで結束を早く高める ~81

まずは早くStartさせる。そのためには難しいことは抜きにゆるやかな形でStartする。

徐々に良くしていく、会社とも正当な話合いをする。

とにかく神田、山崎組が不当なことをしているという話にもっていく。

組合からStartすると時間がかかる、だから社員会で、

労働基準監督署も地労委も来ているから、

組合or社員会でという議論はするべきでない。 

まず、Startさせることが大事

 

723

社長&渡辺 

推進委員会 I君、M、他6

1.推進委員会の意思統一 723

2.全社員への説明(推進委員より)724

3.役員の承認、規約の承認 727

 

会社

・協定の準備、就業規則の準備 724

・協定書締結 729

労働基準監督署への提出 730

掲示ワープロで作る規約、目的、活動方針、その他

 

1.現状(混乱している)どうしたら良いのかわからない。

2.地労委のあっせん願いが行っている、労働基準監督署も来ている。

3.神田、山崎が新しい組織で動いている(規約違反

これらの過激な行動に対抗するには、速やかに社員全員の総意による組織を作る必要がある。

時間がないので、まず,ゆるやかな規約で社員会をStart、その後がっちり固めていく。

(組合でも良い)

I君:神田一応話した、上の案OK

 

724

本社及び戸塚で説明会(お昼12時半から13時)

「結成した規約はこうですが、見直していきます」

スタート賛成の方は署名してくれ。

とりあえず形をつくってスタートする(テキスト参考にした)

Sの説明::コピーして全員に説明してくれ。

 

1992727

H課長:ものの考えをうるのが営業 企業理念のもとに人身を共にする

説明会

社長:できれば全員参加の方向で(時間がかかっても) 

   対立というのはつくりたくない。

親和会のイメージ対立じゃなく仲良くやろうなのになぜ? 

KTC 17/18 本社15/19

92.7.27 結成の了承を会社にもらう

②協定について 会社社員会で申し入れをしたい 

深夜、休出 社外  残業 社内

 カンキョーはフレックス 8hr×稼働日数のTotal

 9時出社でいつ帰っても良い

③総会:役員の再選or信任(至急)

 

神田、山崎に対するとき(彼らが入りたい場合) 

組合を解散しないとだめだよ。

社内に対立を作りたくない、総意のもとにやりたい。

 

(組合の動き)

728日 地労委にて団交に向けての予備交渉。

 

Aメモ)

1992728

社長、田熊労務部長、渡辺総務部長、豊田常務

話し合いにならず、強気、社員会にこうぎ(会社が動かしている)

①組合の解散

②団交を受けてから解散

神田・山崎入れても良い(注:多分、社員会へ入れてもよいということ)

掲示する(加入者募集)

やめたか、やめないかハッキリいわない

84日~6にもう一度話し合い。

お盆前後に団交

全体の雰囲気として排除するしかない(馴れ合いになる)

2人に出ていってもらうしかない Goal

家族的にやっていた、今までと同じ形に戻したい

対立が目的ではない(会社派ではない)

 

1992729

SOK 金曜日に委員会の話をする

渡辺:81日に週に8名集まって会社と打合せ

就業規則は全てOPENにする。

Mはやりたくない。

 

1992730

I君:OKやる。 Mを説得する。

H課長:会長オレがやる、中間が握らないと無理

まず3カ月だけやる 執行部の改選を行う

1.合化労連排除

2.親和会の延長

3.事業に全力を傾けさせるためのもの

は第二期にやる

カンキョー事業をやっていく人の集まり

全力で仕事へ打ち込めるための付属機関

カンキョー事業を通して、カンキョースピリットを

もった人の集まりで、社業の発展と

個人の発展を両立させるための機関です。

 

1992731

選出

代表:H課長

委員:、社長秘書

M過半数に達せず)

代表:A

委員:I

 

 

 

現場からの報告 組合つぶしをはねかえし、賃上げ、一時金差別と闘う

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「不当労働行為の申し立てをしよう」
その資料を見せたとき、本部専従のK書記長は言った。

「90年同期入社給与検討資料」とかかれたその資料を見ると、
93年の基本給、一時金双方において、
たった2人しかいない組合員の賃金差別は誰が見ても明らかだった。

92年5月組合を結成
会社は上部団体・組合敵視

私たちが「カンキョー」という会社に組合を設立したのは92年の5月で、
神田委員長、書記長の私以下、執行委員4名、構成人数21人であった。
 
「カンキョー」という会社は空気清浄機を主力とした、
室内環境制御機器を開発・販売するベンチャー企業である。
ここ2~3年はマスコミに話題の会社として取り上げられている。
92年当時は、カンキョーの規模が拡大し、
戸塚に技術センターを新設した時期であった。

技術センターの新設は、従業員に対して事前に説明もなく、
突然実行に移されることになり、従業員の間に会社に対する不信感が生じていた。
私たちは、そのような会社の身勝手な行為を抑制し、あいまいな労働条件の是正、
そして社員教育の充実を主旨とした要求書と組合結成通知を総務部長に提出した。
 
総務部長は
「なぜ組合など結成したのか、その前に私に相談したり、
従業員の間で話あったりしなかったのか」
「何で合化労連などという会社の外の組織に加盟するんだ、
社内にとめておけないのか」
と明らかに組合を嫌い、特に上部団体に加盟していることに反感を示した。

会社の組合つぶしの手口

そして労働組合結成の事実を社員に伝えた翌日、
社長秘書を中心とした非組合員より話し合いの申し入れがあり、
その日の業務終了後、組合員と非組合員双方が集い話合いが行われた。

非組合員側の主張は
「今まで社員と会社と仲良くしていたのに、労使という対立を持ち込むのは良くない」
「組合の要求は社員の総意を表していない」等、組合に対する攻撃を行い、
「最大の問題は合化労連に加盟し、外部の人間に社内のことを知られてしまうのが問題だ」
と会社の主張と同じように上部団体に対して、あからさまに嫌悪を示した。
その後、何回か双方話あいの機会を持ったが、折り合うことはなかった。

が、それは組合員に不安を与えるには十分であった。
不安を持った組合員たちに追い打ちをかけるように、
非組合員は組合員に対して無視や暴言をはくといった嫌がらせを行うようになった。

さらに、会社役員を中心に
「組合ができたために、借り入れができない」
「合化労連に加盟しているため、銀行から信用されなくなった」
「運転資金が1億円足りない、このままでは倒産してしまう」
といった反組合的な煽動が展開され、組合員の不安は不信へと変わっていった。

その不信感に乗じて、課長クラスの直接的な組合脱退工作が進められ、
結成後わずか2カ月の間に、21名いた組合員は委員長と書記長の2名になってしまった。

会社『社員会』を結成

この組合つぶしが行われていた間、会社は組合の申し入れた団交に対して、
「組合は社員の過半数の意見を反映していない」
「社内で多数の人が組合とは別の動きをしているので、この動きをみてから考える」
と表明し、団交を引きのばしていた。

そして、社長、部長、課長らを中心に組合の対抗組織として、
結成準備が進められていた「社員会」が体制を整えた8月下旬になって、
ようやく第1回の団体交渉が行われた。

正義を貫く2人に賃上げ、一時金差別

1992年の年末一時金交渉の場で、
査定は社長1人の勝手な裁量で行っていることが明らかになり、
組合として、そのような査定方法は前近代的で合理性、
客観性に著しく欠けていると批判したビラを掲示した。

それは、社長のプライド傷つけたため、
ビラを作成した書記長である私の年末一時金は、
協定をした2.59よりヶ月より著しく低い2.06ヶ月しか支給されなかった。

その後も私に対しては. 93年、94年の昇給、一時金について
著しい差別が継続的に行われている。
もちろん神田委員長に対しても、93年度の昇給、一時金について
私より小幅ではあるが差別が行われていた。

私たちは、賃金差別が行われていることがわかっていながら、
確たる証拠もないので賃上げや一時金交渉の時、
査定の近代化と常識の範囲での査定の二点を主張するだけに止まってた。

反撃

94年の5月、私たちは冒頭で触れた「90年同期入社給与検討資料」を手に入れた。
資料には私と神田委員長を含めた、同期入社10名の92年、93年基本給と
93年夏・冬の一時金支給額が書かれていた。
この資料からは、賃金差別だけでなく、
全体平均支給額より著しく低い支給率が会社から提示されていたことが判明した。

組合結成直後の支配介入、
その緊張としての賃金差別、
それらを裏付ける証拠、
以上が揃ったことで、私たちは勝利を確信し、
労働委員会へ不当労働行為の救済申し立てを行うことにしたのであった。

7月には労働委員会の調査が終了し、
9月よりいよいよ審問が行われることになった。
調査では査定制度のあり方が焦点となり、事実確認が行われた。
その中で、事前協議約款を無視し、
0~100のランクに分けられた101段階の査定制度を、
94年に実施されていたことが明らかになった。
会社は私たちに一貫して点5段階で査定していると主張していたにもかかわらず、
このような査定制度を実施していたのである。
調査が進行していく過程での会社の答弁は矛盾に満ちており、
会社は組合に対して誠実な対応をしていこうという意志がなく、
その背景にはワンマン社長の意向が働いてることは明白であった。

勝利への確信

現在、私たちは9月の審問に向けて、社内の情報収集を行なっており、
賃金台帳などかなり有力な資料を手に入れている。
今後、会社からの攻撃も予想されるが、
勝利を確信し全力を尽くしていこうと考えている。

 

『とんぼのめがね』1994年夏 

ベンチャーが恐怖政治で会社を統治したら、そりゃ倒産するよね

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「とんぼのめがね」の手記もこれで終わりです。

はじめは労働委員会の審問の記録について書くつもりでした。
そして書こうと思って資料をあさっていると、
「とんぼのめがね」の手記があったり、
裏の労務課長のメモ(Aメモ)が出てきたりと・・・。

結局、労働組合の結成前から最初の団体交渉まで、
資料をもとに思いつくままに書いてきました。

改めて読むと、社長の身勝手さ、
それに従う経営陣の主体性のなさ、
そして従業員たちの浅はかさ、
すでに、負けています。

いま考えれば、社長は独裁的な恐怖政治で会社を統治しようとしたのでしょうね。
それしか方法が思い浮かばなかったのでしょう。
自意識が肥大した人間の悲劇です。

倒産しても当然でしたね。

さて、「とんぼのめがね」からです。

7月には労働委員会の調査が終了し、9月よりいよいよ審問が行われることになった。
調査では査定制度のあり方が焦点となり、事実確認が行われた。
その中で、事前協議約款を無視し、0~100のランクに分けられた101段階の査定制度を、 94年に実施されていたことが明らかになった。
会社は私たちに一貫して点5段階で査定していると主張していたにもかかわらず、このような査定制度を実施していたのである。
調査が進行していく過程での会社の答弁は矛盾に満ちており、会社は組合に対して誠実な対応をしていこうという意志がなく、その背景にはワンマン社長の意向が働いてることは明白であった。

現在、私たちは9月の審問に向けて、社内の情報収集を行なっており、賃金台帳などかなり有力な資料を手に入れている。
今後、会社からの攻撃も予想されるが、勝利を確信し全力を尽くしていこうと考えている。

 

この後は、「とんぼのめがね」と「Aメモ」がぶつ切りになっていたので、
流れが分かるように、まとめたものを掲載します。

ではまた。

反撃の糸口は意外な人からもたらされた。かつての裏切り者も今日の友。

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2年間の試練の後に待っていたのは、
大逆転の糸口でした。

 

組合員に対する給与差別の実態が分かったのです。


おそらく、社長が後先なしに給与差別をしてしまったものだから、
組合からの抗議をうけて同期入社の報酬を比較検討したみたいです。

この書類は、労組をいの一に裏切った、

I君からもらったものでした。


彼は、会社に従ったものの、
残業の多さも変わらず、
従業員への待遇も良くならず、
社員会も機能せず、
製品の不具合は多く、
それの対応で振り回される。


けれども、社長は一向に従業員を振り返ることがない。


ひとことで言えば、愛想が尽きたのです。

彼は翌年、私たちよりも一足早く会社を辞めました。


「とんぼのめがね」の投稿手記からの引用です。

94年の5月、私たちは冒頭で触れた「90年同期入社給与検討資料」を手に入れた。


資料には私と神田委員長を含めた、

同期入社10名の92年、93年基本給と

93年夏・冬の一時金支給額が書かれていた。


この資料からは、賃金差別だけでなく、

全体平均支給額より著しく低い支給率が

会社から提示されていたことが判明した。


組合結成直後の支配介入、

その延長としての賃金差別、

それらを裏付ける証拠、

以上が揃ったことで、私たちは勝利を確信し、

労働委員会へ不当労働行為の救済申し立てを行うことにしたのであった。

 

労組をを認めたくないからといって、賃金でいじめるのはやめたほうがいいよ。社長さんよ!

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さて団交によって一段落した2人だけの組合ですが、
それから、さらなる試練が待ち受けていました。

久々に「とんぼのめがね」への投稿手記からの引用です。

1992年の年末一時金交渉の場で
、査定は社長1人の勝手な裁量で行っていることが明らかになり、
組合として、そのような査定方法は前近代的で合理性、
客観性に著しく欠けていると批判したビラを掲示した。
それは、社長のプライド傷つけたため、
ビラを作成した書記長である私も年末一時金は、
協定をした2.59よりヶ月著しく低い2.06ヶ月しか支給されなかった。
その後も私に対しては. 93年、94年の昇給、一時金について
著しい差別が継続的に行われている。
もちろん神田委員長に対しても、93年度の昇給、一時金について
私より小幅ではあるが差別が行われていた。
私たちは、賃金差別が行われていることがわかっていながら、
確たる証拠もないので賃上げや一時金交渉の時、
査定の近代化と常識の範囲での査定の二点を
主張するだけに止まってた。

この後、
私たちの反撃が始まります。


2年間辛抱した末に、見えない支持者が増えていきました。
社長を信用すると言って、出ていった仲間たちや、
社長に愛想を尽かした元反組合員が、
陰で情報を提供してくれたのです。

 

組合騒動からの2年間で、社長は従業員から信頼を失っていたのです。

 

社長は従業員にあれほど偉そうなことを言っておきながら、
何も改善しないし、社員会の意見にも聞く耳を持たなかったのです。

結局、社員会も形骸化して、機能しなくなっていました。

 


ブログ「Book & Action 四の五の言わずビジネス書に書いてあることをやってみた」もよろしく。
https://tomiyasukougu.wixsite.com/book-action/blog/

新しいことをするのだから妨害を受けたりするのは当然のことという社長、その首謀者はだ〜れだ?

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8月19日、午後3時~4時、本社応接室にて、
第1回団体交渉が行われました。

 

出席者は、
会社:藤村社長、渡辺総務部長、田熊労務部長
組合:神田委員長、山崎書記長、上部団体専従2人

 

ちなみに労務部長は、組合対策で作られたポストです。
田熊というのは某大企業を停年退職した後に営業担当の嘱託社員として、
カンキョーに雇われていました。
立場的にはビミョーな人が労務部長をしていました。

団交は挨拶のあとに上部専従から合化労連の説明がありました。
要するに、「怖い存在じゃないよ」と説明したのです。


そして、要求に対する会社回答があり、
内容について労使ではじめて話し合いができたのです。
折り合わない部分は協定書のすりあわせとともに、
次の団交で交渉することも決まりました。

2ヶ月半、のらりくらりと延期されてきた団交が、
やっと実現し、この先の団交も保証されたのです。

 

団交の話し合いの中で社長は、
上部団体や労組と「好んで争いたくない」とか、
よいものはすぐに改善する姿勢を強調していました。
しかし、これまでの経緯を知っている私たちにとって、
詭弁でしかありません。

 

また、最後に社長から話がありました。


「新しいことをするのだから妨害を受けたりするのは当然のこと。
私は部長、課長を問わず意見は自由に行って良いと思っている」

 

社長が裏で糸を引いて妨害をしてきたのに、
いけしゃあしゃあといった態度ですね。

 

陰でコソコソと、課長や非組員を使って、
人権を無視したいじめ行為を繰り返し、
会社内に見えない亀裂をつくって、
それを肯定するというのでしょうか。

 

私の目の前にいた人は会社のリーダーではなく、
自分の主張を通すためなら何でもする卑怯者で、
臆病者の下らない人間でした。

 

そして、その隣で小さくなって座っている、
渡辺も、田熊も、社長にぶら下がるしかない、
かわいそうな小動物でした。


社長の威を借りて虚勢を張るのですが、
しょせん小さな会社の社長ですから(笑)
滑稽でむかつく人たちでした。

 

彼らも社員会ができて、意気揚々と団交に応じたのでしょう。
しかし、法律の前には会社の論理は無力です。


それを感じたのか、社長は二度と労組と同席することはありませんでした。

 

労働委員会でも証人に出ていません。
やっぱり卑怯者です。

何もしない人は、何かする人の足を引っ張ることによって、自分の存在意義を主張するのです

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社員会の第1回総会は9月18日、それに対して社員会の規約は8月1日施行。
しかも総会に先だって第一期の役員が決まっていました。
これが彼らのいう民主的な運営なのでしょうか。


Aメモでも明らかなように、7月31日に規約の承認のない中で、
コソコソと役員を決めていたのは誰でしょうか。
もはや、お笑いのネタか、ゴッコアソビの延長です。
カンキョースピリットとは、仲良しごっこのことだったようです。

 

思うに、従業員の中で「カンキョースピリット」なる言葉を口にする人って、ほとんど見かけなかったですね。
仮にこれが会社の考え方だとして、何が「カンキョースピリット」かなんて考える機会もなかったです。
毎年7月くらいにあった社員研修でも、議論したことなんてありません。
社員研修で何やっていたかって、思い出すと実行委員がいて、ゲームのようなことばかりしてました。
経営陣と従業員が膝を交え、事業について、会社の将来について、話し合うことなんて一切なかったのです。


だから、極端な手段かもしれませんが、会社と対等な関係で話し合うために労働組合を作ったのです。


ハッキリいって会社を良くするために何も行動を起こさない先輩社員を頼ろうなんて最初から考えていません。
ただ、彼らから話し合いの場を設けてくれれば、組合に加入してもいいという申し入れがあったので、最初に話し合を持ったのです。

そしたら、その場から難癖の嵐。
彼らの言葉を信じて、組合員が増えるなんて希望を抱いた当時の私の浅慮を呪います。
何もしない人は、何かする人の足を引っ張ることによって、自分の存在意義を主張するのです。
いまならば、つっぱねていたことでしょう。

 

そして、話し合いに応じた結果、生まれた事態は、これまでに見たような、
いらぬ従業員同士の対立と不信感、さらに会社による支配の強化です。

非組合員達は、自分たちの正当性を担保するため、会社=社長の価値観を絶対と考えるようになっていきました。

中身のない、魂のない「カンキョースピリット」なるものをあがめ奉りました。
そして、他の価値観の排斥することに、何らの痛みを感じることがなくなったのです。

その挙げ句が社員会の結成です。

ここまで、このブログにおつきあい頂いた方なら、
社員会の結成思想の異様さに気付くことでしょう。

 

社員会運営上の方針

カンキョー事業の理念、マインドの下に集まる社員の中で対立関係を除き、人心一致団結、それぞれの仕事を通した自己実現の要求を最大限に組み取り(ママ)、それが社会への貢献となるよう努力する。

社員会は社員会として誰かを排撃する道具ではない。
その為にも社員全員の参加としたい。

社員自身が人に頼るのではなく、自分たち自身でカンキョー事業に取り組む姿勢、カンキョー事業を通して生活をなし得ている意味を改めて考える。

労働側とか会社側という言葉を一日でも早く無くし、ぼくたち、わたしたちの会社という当社の創立の気分を取り戻したい。

「私たちの会社は組合など要らない今までの会社とは違う会社を創ろう」これが目標の一つであったはずなのに・・・・。
その目標に向かってもう一度レールを確認したい。

「何をやっているかわからない」「勝手にやられている」などの意識を持たぬよう、活動は常にオープンにし、会員全てが容易に社員会活動を知り、共に活動し、発言することができるものにする。

 

社員会の理念設立主旨

ビジネスを通じた人間関係が基本の中で、カンキョー事業の理念に共鳴して働く人の集まりである。

カンキョーマインド、カンキョースピリットを高め合い、自己の啓発とカンキョー事業を通して充実したここの生活を築き上げる。
①社会への貢献
②報酬として会社の利益・個人の利益
③カンキョー事業に携わる者それぞれの幸福