労組をを認めたくないからといって、賃金でいじめるのはやめたほうがいいよ。社長さんよ!
さて団交によって一段落した2人だけの組合ですが、
それから、さらなる試練が待ち受けていました。
久々に「とんぼのめがね」への投稿手記からの引用です。
1992年の年末一時金交渉の場で
、査定は社長1人の勝手な裁量で行っていることが明らかになり、
組合として、そのような査定方法は前近代的で合理性、
客観性に著しく欠けていると批判したビラを掲示した。
それは、社長のプライド傷つけたため、
ビラを作成した書記長である私も年末一時金は、
協定をした2.59よりヶ月著しく低い2.06ヶ月しか支給されなかった。
その後も私に対しては. 93年、94年の昇給、一時金について
著しい差別が継続的に行われている。
もちろん神田委員長に対しても、93年度の昇給、一時金について
私より小幅ではあるが差別が行われていた。
私たちは、賃金差別が行われていることがわかっていながら、
確たる証拠もないので賃上げや一時金交渉の時、
査定の近代化と常識の範囲での査定の二点を
主張するだけに止まってた。
この後、
私たちの反撃が始まります。
2年間辛抱した末に、見えない支持者が増えていきました。
社長を信用すると言って、出ていった仲間たちや、
社長に愛想を尽かした元反組合員が、
陰で情報を提供してくれたのです。
組合騒動からの2年間で、社長は従業員から信頼を失っていたのです。
社長は従業員にあれほど偉そうなことを言っておきながら、
何も改善しないし、社員会の意見にも聞く耳を持たなかったのです。
結局、社員会も形骸化して、機能しなくなっていました。
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