逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

会社に対立と亀裂をもたらしたのは社長しかいなんだよね〜

労働組合を作った目的は、会社と対立関係をつくるためじゃない。

仕事の効率が悪く残業が多かったこと。
そして先輩社員たちが作った、効率の悪さをよしとする社風。

その効率の悪さを従業員の責任にして、頻繁に組織をいじくる社長。
そうした状況を改善しようと従業員が提案しても聞く耳を持たない風通しの悪さ。

 

効率を高めて働くことによって、いきいきとした職場を作りたかった。

 

自分ひとりが残業を減らしても、会社全体が変わらなければ意味はない。
ちゃんとに外部の力を借りて研修をして、良い会社づくりをして欲しかった。

 

最初、研修などで外部の力を使わないのは、社長の過信かと思っていた。
自分なら、もっと良い教育ができると考えているのかと思った。

しかし、社長は従業員を育てようという意識はなかった。
従業員に直接働きかけて、カンキョーの理念を伝える場はなかった。

 

労働組合をつくってゴタゴタがあって分かったことは、
社長が抱いていたのは過信ではなく、不安だったということ。

何かの不安を抱いていたから外部の力を借りなかったのだろう。

つまり、外から見られてはいけないものが会社の中にあったに違いない。

それは技術的なものではなくて、経営に関わるもの。

だから、合化労連という外部の目を嫌ったのだろう。

 

そう。

財務諸表上は2千万も計上されていた研修費は、何に使っていたのだろう。

それだけあれば、業務改革だけでなく、技術的にも行動な研修を従業員が受けることができたはず。しかし、Off-JTの機会なんてまるっきりなかった。

 

使ってもいない莫大な研修費の計上、そして外部の目を嫌う社長の態度。

 

そこから読み取れるのは、

 

「粉飾」の2文字。

外部から見られているような、成長イメージは社内にはなく、疲労感が漂っていた。
成長企業のイメージを壊してはいけないので、社内の様子を外部に見せることがなかった。

そして、成長イメージを維持するため、売上高は右肩上がりでなくてはならなかった。

 

社風も会社財務も「粉飾」だったのだ。

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