反・会社というフレームにはめられてしまった労組は、反組合員の怒りの前に負けを認めるしかなかった
私は立場の弱い若手中心の労組が、会社と対等の立場で話すためには、外部の力を借りるしかないと考えていました。
しかし、社長は外部の力を恐れたのです。
そこで、中堅層以上の社員を利用して、
力で押さえ込む行動を取ることを考えたのです。
自分では表だって行動できないから、F課長を利用しました。
F課長は中立のふりをしながら、労組のメンバーの切り崩し工作をしていったのです。
さてAメモです
1992年7月23日の欄外にこんな一文がありました。
(推進委員会は)F課長が作ったことにする。
社長の指示で社員会を推進したことを隠すためだったのでしょう。
1992年7月24日
本社及び戸塚で説明会(お昼12時半から13時)
「結成した規約はこうですが、見直していきます」
スタート賛成の方は署名してくれ。とりあえず形をつくってスタートする(テキスト参考にした)
Sの説明::コピーして全員に説明してくれ。1992年7月27日
H課長:ものの考えをうるのが営業 企業理念のもとに人身を共にする
説明会
社長:できれば全員参加の方向で(時間がかかっても)
対立というのはつくりたくない。親和会のイメージ対立じゃなく仲良くやろうなのになぜ?
KTC 17/18 本社15/19*1①92.7.27 結成の了承を会社にもらう
②協定について 会社→社員会で申し入れをしたい
深夜、休出 社外 残業 社内
→カンキョーはフレックス 8hr×稼働日数のTotal
9時出社でいつ帰っても良い③総会:役員の再選or信任(至急)
神田、山崎に対するとき(彼らが入りたい場合)
組合を解散しないとだめだよ。社内に対立を作りたくない、総意のもとにやりたい。
もちろん「本社及び戸塚で説明会」は、労組の2人は誘われることはなかった。
社長は「できれば全員参加の方向で(時間がかかっても)」と発言しているが、 対立をあおったのは社長であって、労組には対立の意図はなかった。
「カンキョーはフレックス」とあるが、就業規則にはかかれていなかった。
「組合を解散しないとだめだよ。 社内に対立を作りたくない、総意のもとにやりたい。」など勝手な言い分には我慢ならないところもあります。
もともと、会社を変えようと立ち上がった若手が中心になって、結成したのが労働組合です。
それなのに自主性をみとめずに、管理をするというのが社長の本心だったのでしょう。
社内に対立は作りたくないというが、労組の意見に耳を貸さなかったのは誰でしょう?
社員会のやっていることは、労組の劣化コピーとしか思えません。
結局、権力者は自分の権力を守るためには平気で嘘つくのです。
そして、その嘘を力で事実にしてしまうのです。
社長は従業員の持つ不満と、自分が抱えていた経営への不安を、すべて労働組合のせいにして、 非組合員の怒りのエネルギーに変換したのです。
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*1:KTC(カンキョー技術センター)18人中17人賛成、本社19人中15人が賛成という意味