逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

反撃の糸口は意外な人からもたらされた。かつての裏切り者も今日の友。

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2年間の試練の後に待っていたのは、
大逆転の糸口でした。

 

組合員に対する給与差別の実態が分かったのです。


おそらく、社長が後先なしに給与差別をしてしまったものだから、
組合からの抗議をうけて同期入社の報酬を比較検討したみたいです。

この書類は、労組をいの一に裏切った、

I君からもらったものでした。


彼は、会社に従ったものの、
残業の多さも変わらず、
従業員への待遇も良くならず、
社員会も機能せず、
製品の不具合は多く、
それの対応で振り回される。


けれども、社長は一向に従業員を振り返ることがない。


ひとことで言えば、愛想が尽きたのです。

彼は翌年、私たちよりも一足早く会社を辞めました。


「とんぼのめがね」の投稿手記からの引用です。

94年の5月、私たちは冒頭で触れた「90年同期入社給与検討資料」を手に入れた。


資料には私と神田委員長を含めた、

同期入社10名の92年、93年基本給と

93年夏・冬の一時金支給額が書かれていた。


この資料からは、賃金差別だけでなく、

全体平均支給額より著しく低い支給率が

会社から提示されていたことが判明した。


組合結成直後の支配介入、

その延長としての賃金差別、

それらを裏付ける証拠、

以上が揃ったことで、私たちは勝利を確信し、

労働委員会へ不当労働行為の救済申し立てを行うことにしたのであった。