逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

現場からの報告 組合つぶしをはねかえし、賃上げ、一時金差別と闘う

f:id:cognis:20180515075524j:plain

 

「不当労働行為の申し立てをしよう」
その資料を見せたとき、本部専従のK書記長は言った。

「90年同期入社給与検討資料」とかかれたその資料を見ると、
93年の基本給、一時金双方において、
たった2人しかいない組合員の賃金差別は誰が見ても明らかだった。

92年5月組合を結成
会社は上部団体・組合敵視

私たちが「カンキョー」という会社に組合を設立したのは92年の5月で、
神田委員長、書記長の私以下、執行委員4名、構成人数21人であった。
 
「カンキョー」という会社は空気清浄機を主力とした、
室内環境制御機器を開発・販売するベンチャー企業である。
ここ2~3年はマスコミに話題の会社として取り上げられている。
92年当時は、カンキョーの規模が拡大し、
戸塚に技術センターを新設した時期であった。

技術センターの新設は、従業員に対して事前に説明もなく、
突然実行に移されることになり、従業員の間に会社に対する不信感が生じていた。
私たちは、そのような会社の身勝手な行為を抑制し、あいまいな労働条件の是正、
そして社員教育の充実を主旨とした要求書と組合結成通知を総務部長に提出した。
 
総務部長は
「なぜ組合など結成したのか、その前に私に相談したり、
従業員の間で話あったりしなかったのか」
「何で合化労連などという会社の外の組織に加盟するんだ、
社内にとめておけないのか」
と明らかに組合を嫌い、特に上部団体に加盟していることに反感を示した。

会社の組合つぶしの手口

そして労働組合結成の事実を社員に伝えた翌日、
社長秘書を中心とした非組合員より話し合いの申し入れがあり、
その日の業務終了後、組合員と非組合員双方が集い話合いが行われた。

非組合員側の主張は
「今まで社員と会社と仲良くしていたのに、労使という対立を持ち込むのは良くない」
「組合の要求は社員の総意を表していない」等、組合に対する攻撃を行い、
「最大の問題は合化労連に加盟し、外部の人間に社内のことを知られてしまうのが問題だ」
と会社の主張と同じように上部団体に対して、あからさまに嫌悪を示した。
その後、何回か双方話あいの機会を持ったが、折り合うことはなかった。

が、それは組合員に不安を与えるには十分であった。
不安を持った組合員たちに追い打ちをかけるように、
非組合員は組合員に対して無視や暴言をはくといった嫌がらせを行うようになった。

さらに、会社役員を中心に
「組合ができたために、借り入れができない」
「合化労連に加盟しているため、銀行から信用されなくなった」
「運転資金が1億円足りない、このままでは倒産してしまう」
といった反組合的な煽動が展開され、組合員の不安は不信へと変わっていった。

その不信感に乗じて、課長クラスの直接的な組合脱退工作が進められ、
結成後わずか2カ月の間に、21名いた組合員は委員長と書記長の2名になってしまった。

会社『社員会』を結成

この組合つぶしが行われていた間、会社は組合の申し入れた団交に対して、
「組合は社員の過半数の意見を反映していない」
「社内で多数の人が組合とは別の動きをしているので、この動きをみてから考える」
と表明し、団交を引きのばしていた。

そして、社長、部長、課長らを中心に組合の対抗組織として、
結成準備が進められていた「社員会」が体制を整えた8月下旬になって、
ようやく第1回の団体交渉が行われた。

正義を貫く2人に賃上げ、一時金差別

1992年の年末一時金交渉の場で、
査定は社長1人の勝手な裁量で行っていることが明らかになり、
組合として、そのような査定方法は前近代的で合理性、
客観性に著しく欠けていると批判したビラを掲示した。

それは、社長のプライド傷つけたため、
ビラを作成した書記長である私の年末一時金は、
協定をした2.59よりヶ月より著しく低い2.06ヶ月しか支給されなかった。

その後も私に対しては. 93年、94年の昇給、一時金について
著しい差別が継続的に行われている。
もちろん神田委員長に対しても、93年度の昇給、一時金について
私より小幅ではあるが差別が行われていた。

私たちは、賃金差別が行われていることがわかっていながら、
確たる証拠もないので賃上げや一時金交渉の時、
査定の近代化と常識の範囲での査定の二点を主張するだけに止まってた。

反撃

94年の5月、私たちは冒頭で触れた「90年同期入社給与検討資料」を手に入れた。
資料には私と神田委員長を含めた、同期入社10名の92年、93年基本給と
93年夏・冬の一時金支給額が書かれていた。
この資料からは、賃金差別だけでなく、
全体平均支給額より著しく低い支給率が会社から提示されていたことが判明した。

組合結成直後の支配介入、
その緊張としての賃金差別、
それらを裏付ける証拠、
以上が揃ったことで、私たちは勝利を確信し、
労働委員会へ不当労働行為の救済申し立てを行うことにしたのであった。

7月には労働委員会の調査が終了し、
9月よりいよいよ審問が行われることになった。
調査では査定制度のあり方が焦点となり、事実確認が行われた。
その中で、事前協議約款を無視し、
0~100のランクに分けられた101段階の査定制度を、
94年に実施されていたことが明らかになった。
会社は私たちに一貫して点5段階で査定していると主張していたにもかかわらず、
このような査定制度を実施していたのである。
調査が進行していく過程での会社の答弁は矛盾に満ちており、
会社は組合に対して誠実な対応をしていこうという意志がなく、
その背景にはワンマン社長の意向が働いてることは明白であった。

勝利への確信

現在、私たちは9月の審問に向けて、社内の情報収集を行なっており、
賃金台帳などかなり有力な資料を手に入れている。
今後、会社からの攻撃も予想されるが、
勝利を確信し全力を尽くしていこうと考えている。

 

『とんぼのめがね』1994年夏