逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

何もしない人は、何かする人の足を引っ張ることによって、自分の存在意義を主張するのです

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社員会の第1回総会は9月18日、それに対して社員会の規約は8月1日施行。
しかも総会に先だって第一期の役員が決まっていました。
これが彼らのいう民主的な運営なのでしょうか。


Aメモでも明らかなように、7月31日に規約の承認のない中で、
コソコソと役員を決めていたのは誰でしょうか。
もはや、お笑いのネタか、ゴッコアソビの延長です。
カンキョースピリットとは、仲良しごっこのことだったようです。

 

思うに、従業員の中で「カンキョースピリット」なる言葉を口にする人って、ほとんど見かけなかったですね。
仮にこれが会社の考え方だとして、何が「カンキョースピリット」かなんて考える機会もなかったです。
毎年7月くらいにあった社員研修でも、議論したことなんてありません。
社員研修で何やっていたかって、思い出すと実行委員がいて、ゲームのようなことばかりしてました。
経営陣と従業員が膝を交え、事業について、会社の将来について、話し合うことなんて一切なかったのです。


だから、極端な手段かもしれませんが、会社と対等な関係で話し合うために労働組合を作ったのです。


ハッキリいって会社を良くするために何も行動を起こさない先輩社員を頼ろうなんて最初から考えていません。
ただ、彼らから話し合いの場を設けてくれれば、組合に加入してもいいという申し入れがあったので、最初に話し合を持ったのです。

そしたら、その場から難癖の嵐。
彼らの言葉を信じて、組合員が増えるなんて希望を抱いた当時の私の浅慮を呪います。
何もしない人は、何かする人の足を引っ張ることによって、自分の存在意義を主張するのです。
いまならば、つっぱねていたことでしょう。

 

そして、話し合いに応じた結果、生まれた事態は、これまでに見たような、
いらぬ従業員同士の対立と不信感、さらに会社による支配の強化です。

非組合員達は、自分たちの正当性を担保するため、会社=社長の価値観を絶対と考えるようになっていきました。

中身のない、魂のない「カンキョースピリット」なるものをあがめ奉りました。
そして、他の価値観の排斥することに、何らの痛みを感じることがなくなったのです。

その挙げ句が社員会の結成です。

ここまで、このブログにおつきあい頂いた方なら、
社員会の結成思想の異様さに気付くことでしょう。

 

社員会運営上の方針

カンキョー事業の理念、マインドの下に集まる社員の中で対立関係を除き、人心一致団結、それぞれの仕事を通した自己実現の要求を最大限に組み取り(ママ)、それが社会への貢献となるよう努力する。

社員会は社員会として誰かを排撃する道具ではない。
その為にも社員全員の参加としたい。

社員自身が人に頼るのではなく、自分たち自身でカンキョー事業に取り組む姿勢、カンキョー事業を通して生活をなし得ている意味を改めて考える。

労働側とか会社側という言葉を一日でも早く無くし、ぼくたち、わたしたちの会社という当社の創立の気分を取り戻したい。

「私たちの会社は組合など要らない今までの会社とは違う会社を創ろう」これが目標の一つであったはずなのに・・・・。
その目標に向かってもう一度レールを確認したい。

「何をやっているかわからない」「勝手にやられている」などの意識を持たぬよう、活動は常にオープンにし、会員全てが容易に社員会活動を知り、共に活動し、発言することができるものにする。

 

社員会の理念設立主旨

ビジネスを通じた人間関係が基本の中で、カンキョー事業の理念に共鳴して働く人の集まりである。

カンキョーマインド、カンキョースピリットを高め合い、自己の啓発とカンキョー事業を通して充実したここの生活を築き上げる。
①社会への貢献
②報酬として会社の利益・個人の利益
③カンキョー事業に携わる者それぞれの幸福