逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

たとえ対立関係であっても、相手の人格を尊重するだけの器だったら争いはなかっただろうね

社長は最初から労働組合の存在を認める気がなかったのでしょう。
しかも、労組を認めないだけでなく、他人の独立した人格も認めていなかったのです。


これが組織的対立だけではなく、人間的な対立も生んだのです。


従業員の人格を認められない社長ですから、

顧客の人格もまともに認めていたのか怪しいものです。
だからプロダクトアウト的な視点で、
売れない製品を作ってしまったのではないでしょうか。

 

地方労働委員会からあっせんの通知が来て経営陣は焦ったと思います。
そこで社員会を設立して、会社の正当性を地労委で認めてもらおうとしたのでしょう。
しかし、地労委は公的機関ですから、会社の論理は通用しません。


したがって、彼らが話にならないというのは、
労組だけでなく、地労委、果ては労働法にまで向けていっていたのかもしれません。
たしかに、それでは「話になりません」。

世の中のルールの土俵に乗って話してないのですから。
非道は会社側にあったのです。

社長は従業員を家族と言っているが、それは詭弁にすぎないと思います。
家族なら、その誰かがいじめられていたら、それを止めるのが普通です。

それの、いじめを裏から指図し、「家族」=従業員の対立をあおっていました。
これのどこに家族で最も大切な愛情があるのでしょうか。

私はカンキョーを最初から家族的なんて感じていませんでした。
組合員も、会社から家族のように愛されているなんて感じていなかったことでしょう。
労組の結成に参加した理由は、会社が私たちの話を聞いてくれなかったからです。

私は人格まで会社に支配された覚えはありません。
確かに、会社には雇われています。
会社の理念や目的も実現しようとしました。
売上げにも貢献しようとしています。
だからといって、自分の人格は会社のものではありません。

僅かな報酬で会社へ人間としての尊厳を売り渡せなんていうのは、人間への冒涜です。
労組を弾圧し、いじめを加え、社長の言いなりになっている反組合員たち。
彼らは自分の人格を会社に売り渡していたのでしょうか。
だとしたら、カンキョーは企業ではありません。
カルト集団です。

実際は面従腹背だったのでしょう。
労組のメンバーは弱すぎたのです。
非組合員たちを動かしていたのは嫉妬だったのです。
そうした相手の価値観を認めない会社です。
売上げなんて伸びるわけがありません。

なぜなら、社長の論理からすれば、商品が売れないのは顧客が悪いからなのです。
業績が低迷したのは、顧客の欲しいものをつくらなかったことであり、
顧客に商品の価値を伝えられなかったからです。

従業員の人格を認められない人が、
消費者の人格を認める訳がありません。
だから売上げが低迷したのです。

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