逃げればいいのに闘ってしまいました

もう四半世紀前、バブル期新卒採用3年目の会社員が、自分がいたベンチャー企業を相手に闘ってしまった話です。私の経験が、いままさに働き方に悩んでいる若者へのエールとなれば幸いです。

8月危機説はウソ、実際は給与の遅配もカットもなし、結局は労組をつぶすことだけが目的だった

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地労委のあっせんの後、社員会の設立が確定となります。
手に入れたAメモもここまでです。

1992年7月29日
S:○、○、OK 金曜日に委員会の話をする
渡辺:8月1日に週に8名集まって会社と打合せ
就業規則は全てOPENにする。
Mと○はやりたくない。

総務部長が主導して社員会の結成を急いでいました。
戸塚の技術センターで社員会の勧誘を進めていたようです。

 

1992年7月30日
I君:OKやる。 M、○、○を説得する。
H課長:会長オレがやる、中間が握らないと無理
まず3カ月だけやる 執行部の改選を行う
1.合化労連排除
2.親和会の延長
3.事業に全力を傾けさせるためのもの
○、○、○は第二期にやる

カンキョー事業をやっていく人の集まり
全力で仕事へ打ち込めるための付属機関
カンキョー事業を通して、カンキョースピリットを
もった人の集まりで、社業の発展と
個人の発展を両立させるための機関です。

1992年7月31日
選出
代表:H課長
委員:○、社長秘書
(Mと○は過半数に達せず)
代表:A
委員:I、○、○

 

社員会の第二期までの役員が決まったところで、
手に入れたメモは終わっています。

なんかズレてますね。
自分たちで決めたわけではないですから。
会社が最初、
合化労連は敵だ!
会社の経営が危ない!
なんていって、社員の判断力を奪ったところから始まっています。

結局、8月の危機説なんて大ウソ!
給料の遅配もカットもなし。
家族的対応が聞いて呆れますね。

 

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