困ったときに笑顔で近づいて来る人には気をつけよう。エセ仲裁者は積極的に労組をつぶしにかかってきました。
会社の動きは、後にある仲裁者のメモから分かるようになりました。
仲裁者とは言っても課長ですが(笑)
このメモは今後、「Aメモ」としておきましょう。
このような内部資料が手に入ったのも、
会社に不満を持つ従業員がいたからに他なりません。
「社員会」なんてものができても、結局は烏合の衆。
一時の感情で、信念もなくつくったものに「魂」は入りません。
からっぽの器でしかないのです。
こんなバカな大騒ぎをして、残ったのはお互いの不信感。
社長は分かっていたのでしょうか。
下手な幕引きが1998年の倒産への遠因となっていたと私は考えています。
Aメモからです。
1992年7月16日
渡辺部長:7月15日神田、山崎が地方労働委員会へ行っている。
神田君は7月10日を認めていない。
14名は合化労連から抜けたと理解している。
6人:神田、山崎、○○、○○、○○、○○*1
(神田、山崎)折れていない。個人加盟で続ける。
加入の時はナゾだらけなのに、脱退の時はダメというのはなぜか。
神田がウソをついていた、仲介役というのはウソだった。
→社員で非難するしかない。
言いがかりばかりですね。
Aメモを書いているエセ仲裁者は笑顔で近寄ってきて、
社長の意向を受けて積極的に組合つぶしをしてきました。
詳しく説明をしていきます。
神田君は7月10日を認めていない。
7月10日に発起人で執行委員のI君が中心になって、
総会を開き、上部団体から抜ける決議をしたのです。
I君は渡辺総務部長と通じていて、頻繁に話し合っていたみたいです。
気が弱い男なので、仕方ないなと当時から思っていました。
不思議と彼には同情しています。
(神田、山崎)折れていない。個人加盟で続ける。
明らかに会社による支配介入の結果、
上部脱退の決議をしているので無効です。
それは、当時からはっきりしていました。
I君は渡辺部長にコントロールされていたのですから。
「折れていないとか」「個人加盟とか」言われるのもお門違いです。
加入の時はナゾだらけなのに、脱退の時はダメというのはなぜか。
これは会社の言い分で、組合の言い分ではありません。
先輩社員にいじめられて組合をやめたくなったから、
言い訳として使っているだけです。
くだらなくて、情けないのですが、
「無視された」「乱暴な言葉を使われた」というだけで、
彼らは心が折れてしまったようです(笑)
神田がウソをついていた、仲介役というのはウソだった。
→社員で非難するしかない。
とんでもない言いがかりです。
エセ仲介者がウソをついて、神田君を陥れたといえます。
人間関係のトラブルに遭遇したとき、笑顔で近づいてくる仲介者には気をつけなくてはなりません。
都合のいいことばかり言ってすり寄ってきて、結局は悪者に仕立て上げられるだけです。
この後、折れない2人を残して、組合員はみんな辞めていきます。
そして、会社内部にはずーーと消えることのない不信感だけが残りました。
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*1:7月10日に欠席した4人の名前